呼び鈴を押して呼び出すが、なかなか出て来ない。もしかして不在かと心配になった頃にドアが開く。お会いするのは7年ぶりくらいなのだが、あまり変わっていないような。86歳が93歳になるというのは、そういう感じなのかもしれない。前回は家族みんなでお邪魔したが、今回は私ひとり。話すこと・お聞きしたいことはたくさんあるが、疲れさせてはいけないので、のんびりとした茶飲み話をするような感じを心がける。
お茶を淹れてくださるということだが、やかんが無くて小さなお鍋でお湯を沸かす。取っ手が熱くなるので、ずいぶん使いにくそうだ。 お話によると、マルタ夫人には2歳年長のお姉さんがいて、第2次大戦前に結婚してアルゼンチンに移住されたとのこと。お子さんが3人(?)いるので、マルタ夫人にとっては、甥になるのか。マルタ夫人とお姉さんが子供のころに、ご両親と一緒に摂った写真です。時代を感じますね。 写真をたくさん見せていただいた。フルトヴェングラー夫人との写真や、カール・シューリヒトのお母さんアマンダの写真も。珍しい写真は、携帯で写真に撮らせていただく。ウィレム・メンゲルベルクやリヒャルト・シュトラウスとの写真もあった。オラニエ・ナッソウ勲章などの実物を手に持たせていただいた。ガブリエル・サーブ氏の奥さんは、レバノン出身のとても美しい人だったとのこと。ピアニストのバックハウスはとてもユーモアのある人で、よく人を笑わせてくれたとのこと。以前、信一さんがご覧になったというシューリヒトとバックハウスの写真は見当たりませんでした。 シューリヒトの伝記を書いたMichel Chauvy氏について伺う。「身体は大きいのだが、健康のための運動をしなかったので、身体がいうことをきかない」とのこと。電話番号と住所を教えてもらう。ヴィースバーデン時代のコンサート記録を教えてもらえないか、頼みたいのだ。 マルタ夫人の電話帳を見せていただくと、ほとんどの人が横線で消されている。「みんな死んじゃったのよ。」とおっしゃるので、それではと私の電話番号を書き込ませていただく。最新の書き込み(笑)。 明後日からヴィースバーデンに行くこと、クアハウスにあるシューリヒトの胸像とお墓参りをすることを、お伝えする。「2年前に行ったが、ヴィースバーデンにも、もう知っている人が少なくなってしまった。私が死んだら、あそこに埋葬されることになっているのよ。そういうことに決まっているの。」夫人はcontroléという言葉を使った。 アルヒフォンのウンガー氏に会うためにケールに行くと話したら、ぜひマルタは生きていると伝えてくれと頼まれた。 ドリームライフのCDに収録されているシューリヒトのインタビューを聴こうとしたら、アンプの調子が悪いのか、まったく聞こえなかった。CDプレーヤー自体は、ちゃんと動作しているようにみえるのだが。 まだ外は明るかったが、ずいぶん長居をしてしまった。午後6時少し前に、おいとまをする。夫人はアパートの出口まで見送ってくださった。私の帰国前にもう一度お会いしていただくことをお願いした。 コートを、マルタ夫人のアパートに忘れてきてしまった。次回、忘れずに持って帰らないと。来る時の電車を逆方向に、ヴヴェに向かって丘陵を下ってゆく車窓からは、レマン湖が西日に霞んで見えた。 オテル・ド・ファミーユは駅の至近にあって、マルタ夫人も名前をご存知のホテル。6時半をまわっていたが、チェックインに問題はなかった。ジュネーヴのホテルに比べて、トイレ・浴室に扉があることと、シャワーにはフェンスがあって、お湯が床を濡らす心配がないことが良い。机にボックスティッシュライトもある。唯一テレビが小型のブラウン管であるところだけ、負けている。 チェックインして部屋を見てすぐ、夕食を摂りに外出。大通りに面したビル1階のカフェテリア(BAR A KEBAB)で、チキンナゲットセット(13.50SFR)とコーラ(4SFR)。フライドポテトが多いので、結構満腹。付け合せのサラダも、久しぶりの生野菜で良かった。野菜に歯ごたえがあるのは、それだけナチュラルなのか。ホテルへの帰り道、朝果物を買ったスーパーでハイネケン(500ml, 2.90SFR)とポテチ(170g, 4.80SFR)を購入。 このホテルは、ロビーでは無線LANを利用できるが、部屋ではつながらない。ちょっと面倒。 シャワーを浴びてハイネケンを飲みながら、この日記を書いている。 寝る前に、例によって下着を洗濯しておく。ここには連泊するので気楽だ。
by oktohru
| 2010-03-18 15:32
| 日々の雑記
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